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この街で

5月末にここ福岡に引っ越してきてから、あっという間でした。縁あって働き始めたシーサイドでは色々なことに挑戦させてもらい、あまり縛られることを好まない私には凄く合っている会社だと感謝しています。来年はシーサイドの成長に負けないくらいに自分自身がもっと成長し、真のプロフェッショナルになる覚悟です。

本年最後のブログに、最近見つけたお気に入りの場所を紹介します。そこに行けばネガティブな考えがポジティブな思考に変わり、自分を奮い立たせてくれます。来年も、この街で、走り続けます。

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by tak6542 | 2012-12-28 00:10

強き男の涙

今年、私をもっとも熱くしてくれた男、スイマー:松田丈志。知っている方も多いと思いますが、夏のロンドンオリンピックで、4年前と同じ200mバタフライで銅メダルを獲得しました。数年前に彼がビニールハウス生まれのヒーロー、というニュースを見てから興味を持ち始め、それ以来、ずっと注目していました。

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彼に魅かれたのは、その水泳に対する貪欲な姿勢とその鋭い眼差しです。それと、4歳の時からずっとコーチとして傍にいた久世コーチの存在です。私は、反逆児が大好きです。どんなに厳しい環境や境遇にあろうとも、上を目指して、弱音を吐かず、もくもくと練習する松田選手は、正に反逆児です。

そんな松田選手が先日、24年間ずっと傍にいてくれた久世コーチと別れ、東京の平井コーチの下で新たなスタートを切るというニュースがありました。会見で松田選手は目を真っ赤にはらし泣きながら、こう語っています「すごい24年間だった。いろいろなことを犠牲にして育ててくれて、感謝している」。私は夏のバタフライの決勝も興奮し感動しましたが、この会見はその数倍感動しました。

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強き男の涙、おそらく松田選手は久世コーチに対して、言葉に出来ないくらいの感謝の感情が溢れ、会見で自分をコントロールできなくなってしまったのだと思います。久世コーチの無償の献身(愛)が松田選手からひしひしと伝わり、私も目頭が熱くなりました。今後も松田選手と久世コーチを応援したいと思います。

by tak6542 | 2012-12-19 22:41

クリスマスの想い出

もうこの季節がやってきました。カトリックである私にとっては最も大切で数々の思い出が残るクリスマス。小学生の頃のクリスマスの思い出、それはトレーナーです。毎年、クリスマスになると母は私たち兄弟にトレーナーを一着買ってくれました。その新しいトレーナーを着て、クリスマスのミサに行ける、とても嬉しかったあの気持ちを昨日の事のように思い出します。

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高校卒業後は、地元・佐世保の褥崎教会でクリスマスを迎えることはありませんでしたが、どこにいても、一人でも、近くの教会を探してクリスマスのミサにあずかっていました。ワイオミング、アラバマ、ロンドン、東京、色々な教会に行きました。そこで想っていたのは、故郷の事です。今、家族はどんなクリスマスを過ごしているのだろう。そんな想いを巡らせながら、昨年、10数年ぶりに、地元の教会でクリスマスを迎えました。教会には懐かしい顔があふれ、私は小学生のあの頃の少年に戻っていました。6人家族は、いつの間にか15人の大家族になり、両親の目尻は下がりっぱなしでした。

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そして、今年のクリスマス、私は家族3人で、早良区城西3丁目にある西新教会に初めて行く予定です。12月24日のミサは夜の7時から。少し早いですが、みなさまにとって良いクリスマスであることを祈っています。ミカエル吉浦から、メリークリスマス。

by tak6542 | 2012-12-14 23:22

こだわり

20代のころにロバート・キャパという伝説的な戦場カメラマンを知ってから、写真というものが好きになりました。私が思ういい写真に共通しているのは、人が写っていて何かそこに流れている物語を想像させてくれる、という事です。

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この人は、なぜ、そんな表情をしているのか。この子供の瞳の先には、何があるのか。一瞬でも、その写真に感情が移ったとしたら、それはとても特別で素敵な事なんじゃないかと最近思うようになりました。

仕事柄、不動産の物件紹介に使っている写真は、リビングであったり、その部屋からの眺望であったりと、人が写っている写真は全くありません。その反動でしょうか。私が会社のフェイスブックに使っている写真には、出来るだけ人や子供を写しています。

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どんなに立派な建物や雄大な風景の写真よりも、私は生身の人間が写っている写真の方を選びます。それは、私がなによりも人が好きで、その人の歴史やストーリーに興味があるからです。だからこそ、今後も私は人を撮り続けていくと思います。

いつか、ロバート・キャパみたいな写真を撮りたいと本気で思っています。特に、彼が撮った子供の写真には優しさが溢れています。キャパは言っています、「君がいい写真を取れないのは、あと半歩の踏み込みが足りないからだよ」。

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by tak6542 | 2012-12-07 23:18

ジャッキー

不動産業界で働く前、東京六本木の飲食店で働いていました。そこで出逢った人たちをたまーに思い出します。ある夜、系列店から一本の電話が入りました「今から団体で30人くらい、そっちに行くから、用意していて」。私が働いていたスポーツカフェの奥にあるVIPルームは、急ピッチでグラスなどを用意しました。

それから数分後、既にほろ酔い状態の団体客がVIPルームに入ってきました。私はその中の一人を見て、ハッ、としました。まさか!? ジャッキー!? チェン?! あまりにも普通に入ってきたので、私は拍子抜けし、同僚のサニーに確認しました。サニーは、にこっ、と頷きました。

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それから、赤ワインのボトルが次々と抜かれ、その部屋はパーティールームと化しました。その間、私はそのジャッキー・チェンと思われる男性を何度もチェックしていましたが、まだ半信半疑でした。あまりにも普通で、しかも想像していたよりも小さい。

そうこうしているうちにカラオケが始まりました。聞こえてきたのはジャッキーの代表作の一つ「プロジェクトA」の主題歌。すると、全員が総立ちになり、曲に合わせ、狭いVIPルームの中を行進し始めました、それもワイングラス片手に。みんな陽気に行進をしています。私は映画のワンシーンを見ているかのような錯覚に陥り、一瞬我を忘れました。これは本物なのかもしれない。

赤ワインが15本以上空になり、2時間のパーティーが終わろうとした時、問題が発生しました。付添いの日本人のクレジットカードがきれないのです。おそらく一日で上限を超えていたのでしょう。その様子を見ていたあの男性が私を呼び、カードを私に手渡しました。そのアメリカ製の黒いクレジットカードには英語で「JACKIE CHAN」。支払いは一発OK。本当に、今、目の前にいるのは、私が子供のころに夢中になっていたあのジャッキー・チェンその人なのかもしれない。

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そして、その時がやってきました。帰り際、いつの間にか寄ってきた背の高いブロンドの女性達が記念写真をお願いしています。その男性は快く了解し、両手に花の状態で二人の女性の肩に手をまわしました。あれっ、あんなに背が高かったかなぁ? 私は目線をその男性の足元に落としました。私は、思わず、にんまりとしてしまいました。

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その男性は、バレリーナの草刈民代さん並みに綺麗なつま先立ちをしているのです。まるで映画そのもの。顔を見ると、そこにはあのコミカルで愛嬌のあるいつものジャッキースマイル。私は確信しました、本物のジャッキー・チェンが、そこにいる。

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by tak6542 | 2012-12-02 00:34

寅さん

私が小さかったころ、漁師だった父のつかの間の楽しみ、それは最新作のジェームス・ボンドを映画館に見に行くことでした。父は私が小学生になると、何度か私を映画館に連れて行ってくれました。勿論、私は007の何がおもしろいのか殆どわかりませんでしたが、映画館を出た父は、とても満足し興奮しているみたいでした。

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そんな父の影響なのか、私も映画が好きになり、友達と一緒に、もしくは一人でも佐世保の映画館によく行くようになりました。あの頃はハリウッド映画がとても好きでヒット映画の他にもアカデミー賞を取った作品(ダンス・ウィズ・ウルブス)などもよく見に行っていました。

その当時、どうしても理解できない事がありました。それは、寅さんの「男はつらいよ」です。なぜ大人は、こんなハンサムでもない四角い顔の人の映画を見るのか、それも正月に。とても不思議でした。そんな私も20代になり、ある時、たまたま寅さんを見ました。あれ!? なんか面白い。この映画は一体なんなんだ、衝撃でした。

それから、第一作(1969年作)をレンタル屋で借り一人で見ました。若い寅さんが生き生きとしています。私は人情味あふれる純粋無垢な寅さんに完全に魅了され、知らず知らずのうちに、寅さん好きの典型的な大人の日本人になっていました。

東京に住んでいた頃、たまに葛飾区柴又に行っていました。帝釈天や草団子屋、それに江戸川の土手に行くと、そこには寅さんの雰囲気がまだ確かに残っています。田舎育ちの私にとって、柴又は心落ち着く場所になっていました。

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これまで色々な映画を見てきましたが、こんな人に逢いたいなぁ、と本気で思わせてくれたのは寅さんです。喜怒哀楽が詰まった映画「男はつらいよ」、そして、寅さん、私にとってのヒーローです。

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by tak6542 | 2012-11-23 23:22

マッツォーニ:イタリアから帰ってきた男

18年ぶりの再会、そんな出来事がつい先日、佐世保の万津町で起こりました。朝7時過ぎ、少し冷え込んできた佐世保朝市に行くと、高校卒業以来会うことのなかった友人:マッツォーニは、川内蒲鉾(かまぼこ)の白孝屋でちくわや蒲鉾を売っていました。

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久々に会うマッツォーニは、昔と変わらない少年のような笑顔で私を迎えてくれました。風のうわさで聞いていたイタリア遊学は本当で、通訳やガイドをして10年程パドバという街で暮らしていたそうです。パオロ・ロッシとはお茶のみ友達、アレッサンドロ・ネスタはただのイタリアの兄ちゃん、等々、サッカー好きの私はマッツォーニの武勇伝を面白おかしく聞いていました。

流転の人生の果て、今はこうして親戚の蒲鉾屋で働いているが、今年の4月に一念発起し、なんと10月に宅建の試験を受けたそうです。結果は34点、予想ではギリギリの線らしいのです。よくそんなに勉強できたなと私が聞くと、マッツォーニは話し始めました。

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朝3時から働き、8時過ぎに朝市が終わり、そのあとは蒲鉾の配達、仕事が終わるのは夜の8時。そんな中、配達の途中に宅建のCDを聞いたり、信号で止まれば参考書を開いたりと、とにかく必死で勉強したということです。私は、そんなマッツォーニの話を聞きながら、胸が熱くなりました。どんな状況にあっても、やる男はやっぱり頑張っているんだなと。

その日の夜、私は家族とマッツォーニの蒲鉾を食べました。普通の蒲鉾に比べ、その蒲鉾はもっちもっちで弾力があり、特別に美味しく感じられたのは気のせいでしょうか。美味しい蒲鉾をありがとう、不屈の男:マッツォーニ。今度会うときは、どんなイタリアンジョークが聞けるのか楽しみです。

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by tak6542 | 2012-11-16 23:31

今年初め、東京から福岡に引っ越してこようと決めた時、一番に喜んでくれた人がいます、それは、私の母です。18歳で家を出てから、母は事あるごとに「もう、よかけん、早よ、こっちに帰ってこんね」と言っていました。私は、そんな母の口癖を聞くたびに、田舎には絶対に帰らんぞと、知らず知らずのうちに、意地になっていたのかもしれません。

そして、昨年の3月、東日本大震災が起こり、私のそんな考え方は大きく変わりました。それまでは東京で自分の家族を持ち、生活していましたが、大きな意味での家族を強く意識するようになり、娘の将来の事も考え、決断しました。

敬虔なカトリックである母は、毎週日曜日のミサは勿論のこと、よく教会に行きます。そこで、祈ります。何か大きな心配事があっても、「マリア様にいっぱいお祈りして来たけん、大丈夫よ」と母は言います。何か良い事があれば、「いっぱいお祈りしよるけん、お恵みのあるとよ」と母は言います。

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私は、そんな母が凄く好きです。これまでどれだけの心配をかけ、どれだけ私の為に祈ってもらったか分かりませんが、母はいつでも私の事を想い祈ってくれました。そして、私は福岡に引っ越してきて、教会に行くようになりました。いつの間にか、母の背中を見て育った自分が、今、ここにいます。

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by tak6542 | 2012-11-10 23:53

こゝろとユーモアと

福岡市早良区百道(ももち)にあるシーサイドリアルエステート株式会社で働くことになり、このブログ:オーシャンを始めます。これまでの想い、今の想い、そして、これからの想いなどを書き綴っていきたいと思います。月1回、オーナー様・入居者様などにお送りしている社員手作りのニュースレターにて、私の自己紹介を載せていただいたので、第1回目のこのブログは原文そのままに下記に綴っています。次回からは、このブログだけの私の想いを日々、書いていきます。宜しくお願いします。



初めまして、この度、シーサイドリアルエステートで働く事になりました、36歳の新人:吉浦(よしうら)です。長崎県佐世保市鹿町町の小さな漁師村で生まれ、自然の中で育ちました。高校卒業後は、長崎、ワイオミング、アラバマ、ロンドン、ナパ、横須賀、東京とめぐりめぐり、今年の5月、福岡に引っ越してきました。

振り返れば、若いころの私は、勢いだけで生きていたように思います。まだ英語がほとんど分からなかった時、ワイオミングでのあるレストランでの事です。アメリカ人のジェイクとメキシコ人のロベルトと一緒に、私はステーキを注文しました。すると、愛想のよいウェイトレスが私に英語で何か聞いてきました。私はよく理解できぬまま、元気よく「Yes!!」と答えました。ジェイクとロベルトは大笑い。私は訳の分からぬまま苦笑い。ようやくロベルトから丁寧にまだ笑われながら、ゆっくりと説明を受け、私は穴があったら入りたい、の心境になりました。ウェイトレスは私に、「ステーキの焼き加減はどうしましょうか?」と聞いていたのです。私は、その時、心に決めました、分からない事は分らない、と正直に言おう。

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20代のころ、東京六本木の飲食店で働いていました。その夜、常連のケントさんが一人の女性ヨーコさんを初めて店に連れてきました。しばらくして、ケントさんがこっそりと私に「薔薇(バラ)を100本、買ってきて」と耳打ちしました。私は六本木の花屋さんという花屋さんを駆けずり回り、どうにか100本の薔薇を集めました。肩に100本の薔薇を担ぎ、ミスターローズになった私は、すれ違う人の視線を感じ、いつの間にか六本木の夜をダッシュで駆け抜けていました。ようやく店に到着すると、知り合いのオーストラリアの女性ダンサー:レネーがミスターローズを見つけ、両手を広げて「Oh, Wow, Thank you!!」と駆け寄ってきました。私は、はぁ、はぁ、と肩で息をしながら、頭をフル回転させ、少し真面目な顔になり、一言「結婚してくれるかい?」。満面の笑みのレネーは「Yes, I will!!!!」と答え、私を強くハグしました。その後、ケントさんは100本の薔薇を嬉しそうにヨーコさんに渡し、ヨーコさんはとても嬉しそうにしていました。そんな二人を見ていた私も嬉しくなり、あたたかい気持ちに包まれていました。私は、その時、心に決めました、自分が大切に想う女性に対しては、素直に気持ちを伝えよう。そして、ユーモアのある人に対しては、精一杯のユーモアで応えよう。

これまで、たくさんの素晴らしい人達に出会い、支えられ、励まされ、時には叱られながらも、何とかここまでやってこれたような気がします。東京での6年間の不動産経験を活かし、みなさまの大切な不動産との出会いと別れに数多く立会い、末永くお付き合いできるよう頼りになる営業マンを目指したいと思います。謙虚さと不屈の精神で、あのフォレストガンプのような純粋な気持ちのまま、この希望の大地:福岡を走り続けたいと思います。福岡をもっともっと元気に。みなさま、どうぞ、宜しくお願い致します。


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Run Forest Run !! ラン、ヨシウラ、ラン!!

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by tak6542 | 2012-10-31 17:30